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教員インタビュー

多文化社会で育って

 私はカナダ出身です。カナダはご存知の通り多民族国家で、様々な宗教や言語をもつ人々が住んでいます。公用語は英語とフランス語ですが、中国語やドイツ語、イタリア語、スペイン語などを使う人も多くいます。

 私が通っていた小学校では、クラスメイトの半分が英語のネイティブスピーカーではありませんでした。全員が完璧な英語を話せるわけではないのです。また、両親がカナダ以外の国から来ている人が多くいました。私の両親もそうです。私の父親はイギリス人で、母親はドイツ人です。母親は英語が苦手だったので、私が4歳くらいまでは家でドイツ語を話していました。ですから、幼稚園では英語を上手に話せませんでした。英語はテレビを見て覚えたのですよ。私のような家族はカナダではたくさんいます。それが当たり前でした。日本ではあまり考えられませんね。

 このような環境で、おもしろい経験をたくさんしました。例えば、友だちの家に遊びに行くと食べたこともないようなお菓子や、見たこともないようなインテリアがあったりして。また、大きくなるに連れて私は母親よりも英語が上手になり、そのうち母親の英語を訂正するようになりました。子どもである私が大人である母親に言葉を教えるというのは、とても奇妙な経験でした。

 さらに、イギリスにある父親の実家やドイツにある母親の実家を毎年訪れる際に、ヨーロッパ中を旅しました。そこでまたたくさんの興味深い経験をしました。このように、私はいつも自分とは違う言語や文化をもつ人々と接して育ってきました。

メキシコで英語教師になる

    

メキシコ人のルームメイトと

 大学では、地球科学を専攻しました。現在は言語学や異文化コミュニケーションについて研究をしていますが、その当時はみんなが違う言語や文化を持っていることが当然で特別なことに感じなかったため、そのことについて学びたいとは思いませんでした。

 入学して1年間は火山学や地震学などを学びましたがあまりおもしろさを見出だせず、将来この分野の仕事に就きたいとも思わなかったため、一旦大学を休学することにしました。

 そして、仲の良いメキシコ人の留学生がいたこともあり、一ヶ月間メキシコへ行くことにしました。メキシコでは3人のメキシコ人学生とルームシェアをしました。彼らはあまり英語を話せず、私もスペイン語を話せなかったので、意志疎通をするのがとても難しかったです。ある時、メキシコ人学生の一人から「私の通っている語学学校でスペイン語を勉強しない?」と提案がありました。興味があったので学校へ行ってみると、スペイン語のクラスはないと言われました。そして逆に英語の教師にならないかと誘われたのです。「ここに英語の教科書があります。明日から始められますよ!」と担当者に言われ、とても驚きました。生徒は高校生や大学生、社会人など幅広い年代の人々です。当時は北米自由貿易協定が結ばれ、仕事を得るために多くのメキシコ人が英語を学びたがっていました。「私はまだ19歳で、何の勉強もしていません。教師の経験もありません。」と断りましたが、「大丈夫、大丈夫。もし誰かに尋ねられたら、『私は21歳で2年間の教師経験がある』と言いなさい。」と言われました(笑) それでも躊躇していましたが、「1時間5ドル払うから」という言葉に負け、英語教師を引き受けることにしました。当時のメキシコで時給5ドルはとても高額です。

 授業は初めのうちはとても苦戦しました。私は英語を話しますが、誰かに教えたことはありません。それでも試行錯誤しながら教えているうちに、教師という仕事が好きになりました。そして楽しみながら仕事をしているうちに、1年が過ぎていました。

    

迷いながら見つけた自分の道

 それでもまだ、英語教師を生涯の仕事にしようとは考えていませんでした。その時の私の夢は、世界中をバイクで旅することでした。フォトジャーナリストになって旅をしながら写真を撮ることに憧れました。そこで、大学に戻りジャーナリズムのクラスを1年間とりました。授業はおもしろかったのですが、自分には仕事として成功させるのは難しいと感じました。そんな時に、言語学部の先生から誘いを受けます。

 私は1年生で地球科学、2年生でジャーナリズム、3年生で言語学と、異なる分野の学問を勉強するチャンスを与えてもらいました。少しでも興味があることにはどんどん挑戦してきた結果、ようやく心からおもしろいと思える学問に出会えました。それが言語学です。日本の大学では入学後に学部を変えることは難しいですよね。カナダでは3年生まででしたら、簡単に変えられます。自分のやりたいことや自分の可能性をよく知らない若い学生にとっては、たくさんの選択肢を与えられることで気付くことが多くあると思いますよ。

 3年生からは英語の教授法を中心に研究しました。言語学を学び始めたら、本当におもしろくて一生懸命勉強しました。多文化の中で育ってきたこと、旅を通して違う言語や文化に興味をもったことなど、これまでの私の経験が全てこの学問に繋がっていました。そして将来の進むべき道が見えてきました。それまでは誰でも英語を教えることはできるから私が教える必要はないという考えでいましたが、とうとう英語教師を仕事として真剣に考えるようになりました。

 卒業後は、モントリオールで英語教師の仕事をしました。モントリオールはフランス系の住民が多く住む地域ですので、フランス語を勉強しながら英語を教えていました。

    

各地を旅して回った20代

日本人はおもしろい!

 それから半年後に、大学の英語学習センターで仕事を得ました。その大学にはヨーロッパや南米、アジアなど世界中から留学生が集まっていましたが、そのうち50%くらいは日本人でした。日本人に出会ったのはこれが初めてです。彼らには私が考えてきた方法で英語を教えるのは、とても難しいことでした。日本人は、授業中はとても静かで決して自分の意見を言いません。ところが、授業後のイベントや飲み会では全く別人のようにたくさん話すのです。カナダ人もそうですが、他の留学生は授業中でも授業以外でも変わりません。なんておもしろい人たちだろうと思いました。それがきっかけで日本や日本人に興味を持ち、日本を訪れることに決めました。

後編へ...

取材協力:アンドリュー N ライマン 教員プロフィール

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