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教員インタビュー

研究内容

 私は19世紀のアメリカ文学を研究しています。

 当時のアメリカの宗教や思想、ナショナリズム、「人種」などと文学との関係を扱ってきました。たとえば宗教と文学に関することですが、メルヴィルの『白鯨』(1851)という長編小説があります。これはエイハブという捕鯨船の船長が白い鯨に片足を奪われ、この鯨に復讐しようと7つの海を経巡るという話です。エイハブにとって鯨はただの鯨ではありません。鯨の背後に何か「理にかなったもの」があり、それが憎いと言っています。こうした見方には、この世のすべての出来事は神が管理しているという当時のキリスト教的な大衆的世界観が見受けられます。同時期に出版されたウォーナーの『広い広い世界』(1850)という小説でも、似たような問題が扱われています。これはエレンという少女の成長物語なのですが、エイハブと同様、大きな試練にぶち当たります。最愛の母親の死です。しかし、エレンは何人かの大人たちの助言によって、この出来事の背後には神の愛があると信じるようになります。エレンとは対照的に、エイハブは、愛ではなく「測りがたい悪意」があると思い、戦いを挑むわけです。

 このように、海洋冒険小説と少女小説という、まったくジャンルの違う作品が、同時代のアメリカの宗教文化と関わっていることがわかるのです。

    

(左)『白鯨』(英: Moby-Dick)/ハーマン・メルヴィル/1851年
(右)『広い広い世界』(英: The Wide, Wide World)/スーザン・ウォーナー/1850年

理系から文系へ

 文学研究をやっているというと意外かもしれませんが、高校時代はもともと理系でした。数学が好きだったのです。しかし高校2年のときに行き詰まりを感じました。理数系の科目があまり面白くなくなったのです。それで、3年から文系クラスに変わりました。

 文系に変わり、志望分野を考えたときに、法学部とか経済学部とか文学部とかがあるわけですが、当時は法律も経済もあまり関心がなかったので、人文学部に入りました。

 入学した学部は、1年生の終わりに専攻を決める制度になっていました。社会学や心理学、哲学、国文学、言語学など様々な専攻がありましたが、1年生の終わりのころ、なんとなく文学をやってみたいという思いがありました。なぜそのように思ったのか・・・。大学に入ってからは高校時代に読めなかった思想系や社会科学系の本ばかり読んでいました。それに少し疲れていたのかもしれません。ただ、昔から本を読むのは好きでした。海外文学は小さい時に児童向けの本など読んでいました。シェイクスピアの『ベニスの商人』や『リア王』といったよく知られた作品です。日本の小説も中学・高校時代によく読んでいました。夏目 漱石や森 鴎外などです。ただ、それは趣味程度でしたので専門に勉強しようとは思ってもいませんでした。それでも文学の道に進んだのは、幼少期からの読書の影響もあったのかもしれません。

アメリカ文学への道

 ところが、文学を研究するとして、さてどこの国の文学にしたらいいかと考えると、すごく迷いました。それで、色々な国の文学を文庫本で片端から読んでいったのです。日本以外に、フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、中国・・・と。どの国の文学もおもしろくて、良さが分かりました。しかし、アメリカの文学だけはさっぱり分からなかったのです。どこがおもしろいのか分からない、何がテーマなのか、誰が善人で誰が悪人なのか、ぼわーとしていて、よく分からない。それがきっかけで、逆に「じゃあちょっと勉強してみようか」となったのです。それで、英米文学を専攻することにしました。そして、卒業論文でメルヴィルの『白鯨』を取り上げたことをきっかけに、19世紀の文学を研究することにしたのです。

 大学卒業後は日本の大学院に進みました。卒業論文を書いてみて、「まだ足りない」、「もっと勉強したい」という思いがあったからです。

 それでも、就職活動もしました。当時はバブル期でしたから、比較的容易に内定をもらえるような時代です。しかし、「この職種でこういうことをしたい」というはっきりした目的がない状態でしたので、中途半端に就職せずに勉強を続けることに決めました。そこでもっと専門的にアメリカ文学を学ぶために、大学院へ進みました。

アメリカ留学時代

留学時代 寮のルームメイトと

 大学院在学中には、1年半ほどアメリカの北東部にある大学院へ留学しました。 初めは、日本の授業の進め方との違いに戸惑いました。日本の授業では、少しずつ作品を読んでいきます。今回は10ページ、次回は15ページというようにして丁寧に訳し、細かく分析していくのが日本のやり方です。

 ところがアメリカの場合は、1週間で1~2冊を読み切り、授業は本の内容について2時間以上議論するだけです。おおざっぱな意見も多く、学生は「ここがおもしろい」とか「ここが退屈だ」とか、「この登場人物は嫌いだ」とかいうレベルの発言をするのです。「なんだ、ただ感想を言い合っているだけじゃないか、これが授業なのかね」と最初は抵抗を感じました。日本の恩師に「読まされる量ばかり多くて作品を細かく分析できない」と手紙で愚痴を言ったら、アメリカの授業では「木々1本1本を見る前に、まず森全体を見せよう、しっかり把握させようという意図があるのです」と教え諭されました。

 授業に出ているうちに、感想だけ言い合うのではなく、議論によって1つの解釈がどんどん発展し、どんどん作品の読みが深まっていくこともあり、自分の偏見を修正しだしました。それも、作品全体を把握しているからできることでした。細かいところにばかりこだわる自分の偏狭さを反省しはじめました。

 また、作品を読んで率直に「おもしろい」とか「おもしろくない」とか言うのは、文学研究の原点なのではないかという気がしてきました。そういう感想から入って、深い考察に入っていくのが本来の姿なのではないかと。いつのまにか文学作品を勉強の対象とだけ見ることに慣れきっていたのです。それは目からうろこが落ちるような体験でした。

 もちろん日本のやり方にも良さがあります。アメリカ人は英語が母国語なので一気に読んでしまいますが、外国人である日本人はしっかりと意味をとらなければいけません。逆に外国人であることによって、テキストを繊細に緻密に読めるということにも気づきました。

予習に追われた日々

 このような授業の進め方なので、予習はとても大変でした。授業を3つから4つとっていましたから、一週間に数百ページある英語の作品を3、4冊読み、内容をそれなりに把握して授業に臨まなければいけません。アメリカの学生はオンとオフがはっきりしていて、月曜から金曜までは一生懸命勉強し、土日はめいっぱい遊びます。ところが私のように英語を母語としない学生の場合は、土日に遊んでしまうと予習が間に合いません。寮に住んでいたとき、ルームメイトのアメリカ人が、私が机に向かっているときに寝床に入り、翌朝早く目を覚ましたら私が机に向かっているのを見て驚いていました。「こんなに勉強する学生は見たことがない。体は大丈夫か」と。私自身、もともと本を読むのが遅いというのもありますが、言葉でハンディがあるのでアメリカの学生の倍以上勉強しないととても勝てないと当時は思っていました。それで学期中は予習に追われていました。

 授業中の議論も話すスピードが速くてよく聞き取れませんでした。先生のおっしゃることは聞き取れるのですが、学生の話(俗語なども混じっています)がよく分からないのです。もっと以前から、読み書きはもちろん聞き取りの訓練も毎日やっておけばよかったと後悔しました。現在ではインターネットの普及などもあり、外国語を学習するのに恵まれた環境になりました。ある雑誌で経済評論家の方が、優れた勉強法や教材はすでに世の中にいくらでもある、英語が身につくかどうかは結局、意欲や動機次第だと言っていましたが、私もそう思います。本人にその気がなければ何も身につかないでしょう。

後編へ...

取材協力:米山 正文 教員プロフィール

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