教員インタビュー

教員インタビュー
Vol.7 共に生きる社会の構築を目指して
取材協力:田巻 松雄 教員

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社会学との出会い

私の専門は社会学ですが、現在の研究に至るまでの経緯を簡単にお話しします。

もともと決まった学問を学びたいという明確な意志はありませんでした。理系が苦手だったことと、社会科学的なことを学びたいという気持ちがあったことから、筑波大学第一学群社会学類に入学します。大学1,2年生の時に法律や経済、政治、社会学等の授業を幅広く受けてみて、唯一おもしろいと感じたのが社会学の授業でした。その先生との出会いをきっかけに社会学を専攻することを決めました。後に指導教員となり仲人もしていただくことになります。生涯のお付き合いをしていただいている先生ですが、授業がとにかくおもしろくて引き込まれました。「出世したいなら法律を勉強しなさい。人間や社会について真剣に考えたいなら社会学を勉強しなさい」というような内容のメッセージを今でも覚えています。

筑波大学時代の写真
筑波大学時代。駅伝を走り終わった直後

フィリピンの研究から自国を振り返る

ホームステイ先での写真
フィリピン留学中。ホームステイ先で

卒業論文のタイトルは「福祉国家の考察」。タイトルを思い出すだけでも懐かしいですね。

その後大学院に進みました。就職という文字は全く浮かびませんでした。就職したら3日で身体がボロボロになるという、変な自信みたいなものがありました。厳しい環境で働いている人には申し訳ないような話かもしれませんが、自分は企業や役所での仕事は出来ないと、向いていないと真剣に思っていました。まあ、いわゆる勉強は好きだったし、先生からも何となく進められたということもありますが。

指導教員は、当時タイなどアジアの第三世界と言われる国々を専門に研究していました。その影響もあり、私を含めたゼミの学生は全体としてアジアの方を見る雰囲気がありました。私の場合は、大学院で第三世界の開発独裁とか軍事体制に関心があって文献研究を進めていたのですが、どこかフィールドを決めることにして、先輩にフィリピン人留学生がいたこと、英語が通じる国であること、物価が安いという理由からフィリピンを選びました。かなり偶然的な要因で決めてしまったことは確かです。フィリピンには半年ほど留学して、その後も行ったり来たりしながらフィリピンの政治について修士論文と博士論文を書きました。

しかし、「何のためにフィリピンの研究をしているのか?」という疑問も引きずりながらの作業でした。そして博士論文が完成した時に改めて「これでいいのだろうか」という疑問が自分の中で湧き起こりました。テーマも研究方法も、これではダメだ!というようなかなり根本的な落ち込みでした、そしてある教員から「なぜ日本ではなくフィリピンを対象にするのか。『貧困』に関心があるのならばフィリピンではなく田巻君の出身地の夕張も同じく貧しい地域ではないか。日本にも様々な地域があるのだからもっと目を向けてみたらいいのではないだろうか」という趣旨のことを言われました。さらに、フィリピンの研究中にある韓国人研究者から、「夕張には昔、たくさんの朝鮮人がいましたよね」と話しかけられましたが、私はその事実を全く知りませんでした。

要するに、フィリピンのことはある程度分かったけれど、日本のことをほとんど知らない自分に気付かされ、目の付けどころを変えなければいけないと感じたのが30歳くらいのころだったでしょうか。今から思えば、気づくのが随分と遅かったと思いますが、致し方ないですね。

フィリピン留学時代の写真
フィリピン留学時代の写真

ホームレスの現実と向き合う

自分の身近な問題に目を向けようと考えた始めた時に、当時住んでいた名古屋で「ホームレスの世界を体験してみませんか」というような内容の新聞記事を見つけました。何となく魅かれて一泊二日の合宿に参加しました。そこで、たくさんのホームレスの人々(以下、ホームレスと略)が路上で寝ているとか、普段よく通っている場所で炊き出しが行われているとか、まったく今まで知らなかった現実が少し見えました。合宿後も、せっかく関わったのだからもう少しホームレスの世界を知りたいと思い、研究というよりもボランティアとして活動に関わり始めました。

そこで見えてきたのは、まず、労働問題です。一般的なイメージと違って、働く意欲はたくさんあるのに職が得られない、または病気や怪我で働けないホームレスがたくさんいました。日雇い雇用の問題も見えてきました。

また、相談に行くホームレスに付き添って毎週福祉事務所に通っていたのですが、生活保護制度の矛盾に気付きました。家を持っている人と持っていない人を比べると、家を持っていない人の方が貧しいはずです。が、この制度はホームレスには極めて厳しいのです。Mさんという方がいました。痩せていてよく風邪を引く人で、自分で病院に行くお金がないから、受診の相談に福祉事務所に行きます。福祉事務所は、受診の相談には比較的簡単に応じて、医療扶助をかけていました。ただ、病院へ行って受診して薬をもらってきたら、そこで扶助はおしまいです。もらってきた薬には「食後服用」と書いてありますが、Mさんは食事するお金を持っていません。そんな時にMさんは水をがぶがぶ飲みながら薬を飲んでいました。非常に印象的な思い出の一つです。風邪を治すには「栄養と休養」が大事であることは常識と言えるでしょうが、福祉事務所はそこまでは面倒を見ないわけです。また、身体はなんともないけど仕事がなくて生活に困って野宿しているのでなんとか面倒を見てくれないかという生活相談に対しては、健康な人は自分で仕事を探してくださいという論理で、福祉事務所は窓口で対応を拒否していました。 さらに、一般市民がホームレスに向ける冷たい視線を感じました。多くの人々は「自業自得」や「怠け者」という見方をしていました。ホームレスが襲われたり、寝る場所を奪われたりするという現実も知ることとなりました。

ホームレス問題と向き合う中でどんな研究ができるかを考え始めたのが、1990年くらいでした。ちょうど日本でホームレスが増え始めた時期です。そして、外国人が増え始め、日本の国際化、地域の国際化が叫ばれ始めた時期でもあります。私の指導教員もその頃は外国人労働問題を研究していましたから、その流れで私も日本に暮らす外国人労働者の問題と向き合うようになりました。このように90年代の頭くらいからは、主にホームレス問題と外国人労働者問題の二つをテーマにしてきました。

本の表紙
自然災害と国際協力―
フィリピン・ピナトゥボ
大噴火と日本/
田巻松雄(共編著)/2001年

フィリピンとの関係が切れたわけではありません。1993年には、外務省より、フィリピンに対する日本政府の経済協力(ODA)についての「有識者評価」を委嘱される機会がありました。大学研究者の目から、日本の経済協力の意義や課題を検証するという仕事です。チームを組んだ方と相談して、1991年に大噴火を起こし20世紀最大の災害と言われたピナトゥボ火山災害を取り上げることとしました。当初は日本政府の経済協力だけを取り上げましたが、その後、チームのメンバーも増やして、民間の援助も視野に入れて日本の経済協力全体を検証する仕事に発展させました。2001年に『自然災害と国際協力 フィリピン・ピナトゥボ大噴火と日本』という本を出版しました。何か、こうやって話していくと、懐かしさオンパレードですね。

スイス・ジュネーヴでの写真
ピナトゥボ調査で訪れたスイス・ジュネーヴで

「HANDSプロジェクト」の事業内容

「HANDSプロジェクト」では様々な支援事業を行っていますが、ここでは主な事業を紹介します。

一つ目は、「外国人児童生徒教育支援学生ボランティア派遣事業」です。日本語を母語としない外国人の子どもたちにとって、日本の学校に通って授業を理解するのは非常に難しいことです。そこで、宇都宮大学の学生を学校に派遣して日本語指導や教科指導を行っています。派遣学生のなかには自分自身が外国籍で日本の小中高で学んできた学生や留学生もいます。

授業の様子
授業の様子
宇都宮大学の学生が小学校の授業に入って個別に指導を行う

二つ目は、「多言語による高校進学ガイダンス」です。今は、日本人の98%が高校へ行き、そのうち50%が大学へ行く時代です。今の日本の社会では、中卒だと安定した職を得ることはほとんど無理で、不安定な生活に陥りやすくなります。私としては外国人の子どもたちにもなんとか高校までは行ってもらいたいという思いはあるのですが、進路は一人一人が決める問題ですので無理強いはできません。そこで、少なくとも高校受験を考えてもらうための情報を、日本語を母語としない子どもたちとその保護者に提供することにしました。それも、正確に伝えるために彼らの母語で行っています。このガイダンスは今年で3年目になります。

「多言語による高校進学ガイダンス」の様子
「多言語による高校進学ガイダンス」の様子
「多言語による高校進学ガイダンス」の様子

三つ目は、「中学教科単語帳」です。中学校の教科書には、日本人でも難しい日本語の単語が使われています。それを外国人の子どもたちが見ても、理解することがとても難しい。そこで彼らの学習をサポートするために、難しい単語や頻繁に出てくる単語を載せた辞書を作りました。タイ語を学んでいる国際学部の学生がタイ人の子どもたちに日本語を教える活動をしていたことが、単語帳誕生の大きなきっかけとなりました。現在、タイ語とスペイン語、ポルトガル語があります。

また、中学校を卒業した子どもたちの進路調査も行っています。このようにいくつかの事業から「HANDSプロジェクト」は成り立っています。

「中学教科単語帳」タイ語
「中学教科単語帳」スペイン語
「中学教科単語帳」ポルトガル語
(写真左から)「中学教科単語帳」タイ語、スペイン語、ポルトガル語

宇都宮大学HANDSプロジェクト だいじょうぶnet. ⇒ http://www.djb.utsunomiya-u.ac.jp/

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自分の故郷をみつめる「夕張学」

夕張を学ぶ会年報 創刊号の写真
『夕張学―夕張を想う人々とともに』
夕張を学ぶ会年報 創刊号/2005年

大学での研究や教育とは別に、自分の故郷である北海道の夕張のことを学ぶ活動をしてきています。夕張をご存知ですか。残念ながら、今は「財政破綻の街」として、広く知られることになりました。夕張メロンは有名ですね。その年の初物は何十万円もする場合があるんですよ。そして、石炭。夕張は文字通り石炭で生まれ、石炭ともに盛衰した街です。夕張には高校まで暮らしました。普通の若者らしく?家と夕張を出たくて、本州の大学に行きました。20代、30代と特に夕張に関心があったわけではありませんが、毎年帰省はしていました。帰省するたびに寂しくなる夕張を眺めながら、夕張の歴史や文化をほとんど何も知らない自分に気づき、勉強してみようと思ったのは、40歳を過ぎてからでした。いつも何か勉強したいと思う時は、「自分は何も知らないんだ」と気づかされることですね。この意味では、今後も勉強意欲は衰えない!かもしれません。

名古屋でホームレス支援活動をしていた時に、夕張出身の方が炊き出しに並んでいることを知った時はショックでした。炭鉱で働いていた人が閉山に伴う離職で本州に出てきて、仕事が上手くいかず路上生活に至ってしまう場合が結構あるようです。東京でホームレスに聞き取りしたときも、以前は北海道の炭鉱で働いていたという人がたくさんいました。この名古屋での経験も夕張に目を向けるきっかけの1つになりました。

夕張についての活動は、最初は有志の面々と勉強会形式でやっていたのですが、ほとんど素人集団でありながら、勉強や活動の一定の成果を広く読んでもらえるように雑誌を刊行しようとする話になり、2005年に『夕張学 夕張を想う人々とともに』という雑誌を刊行しました。少しカッコよく言うと、この『夕張学』の刊行を軸として、今夕張に暮らしている人、かつて夕張に暮らしていた人、そして夕張に関心を持つ人、そういう人たちが夕張について語り合い、つながりあい、一緒に夕張に関わっていく、そういう新しい地域学とでもいうような活動を始めたかったのです。

『夕張学』は、夕張で炭鉱マンとして、炭鉱マンの妻として、様々なお店の経営者等として、夕張で長年暮らしてきた人々の語り、夕張の歴史や文化を検証したり見直したりする論考、様々な人の夕張への想いなどから構成されています。『夕張学』刊行の活動を通じて、実に多くの人と出会えました。そして、様々な発見がありました。予想していた様に、ホントに知らないことだらけであることを発見する連続でした。『夕張学』2号の刊行準備中に夕張の財政破綻が発覚し、夕張はなぜ財政破綻をしたのかという問題にも向き合わざるをえないことになりました。

諸事情で『夕張学』は第5号を刊行して、いったん休刊となりました。が、その後も夕張とは関わりつづけています。思うに、夕張は国策(石炭政策)と大資本(北炭)に依存した地域がどのような運命をたどるのかという問題をシンボリックに示している地域と言えます。そして、財政破綻の責任はすべて夕張市政と夕張市民に負わされるとともに、多大な犠牲者を出しながらも日本のエネルギー支えてきた歴史的な役割は忘却されつつあります。一方で、長屋生活を軸にした炭鉱社会での生活は貧しいながらも苦楽を共にする共同体的な生活で、人間が人間らしく共に生きる原点的な姿を示していたように思うんです。『夕張学』やその後開催したフォーラム等の内容をベースにして、夕張の歴史と現状から日本社会のあり方や人間としての生き方を問いかけるような本を出版する計画を立て、準備しています。7月頃の刊行を目指しています。乞うご期待です。

社会学とは

「100人の社会学者がいると、100通りの答えが返ってくる」と言われるほど、社会学の決まった定義というのはありません。「社会学とはどういう学問ですか?」という質問が一番困ります(笑)。とはいえ、私の思う社会学を改めてお答えしますと、置かれている生活状況も異なり、色々な価値観や思いを持っている人たちが、一緒にそれぞれの「生」を追求していけるような社会の仕組みや相互理解の在り方を追求する学問だと思います。経済学や政治学は人間の生活や行為の一つの側面だけを取り上げますが、社会学の対象は人間の生活や行為そのものです。研究の対象は自由ですが、根本的には人と人が共に生きてくのはどういうことかを様々な角度から考えていくのが社会学ではないでしょうか。

「共に生きる」ことを考える授業

私の授業では、「共に生きる」ということを考えた時に、あまり視野に入ってこない人やモノでも実際は自分と非常に関わりが深い、という現実があることに気付かせることを狙っています。

「国際社会論」という授業では、日常生活のグローバル化をテーマにしています。例えば、このチョコレートは一体誰が作っているのかという問いを発します。すると、遠い国のカカオ農園に行きつきます。そこではたくさんの小さな子どもたちが働いています。その子どもたちはチョコレートを見たこともありません。あるモノの背景には、安い賃金で働く子どもたちがいる、という現実があるのです。私たちはたまたま豊かな日本にいて気軽にチョコレートを食べられますが、それを支えている人たちがいるということに気付かせます。「こんなことを知って何になるの?」「チョコレートが食べづらくなった」と言う学生もいます。でも、「今の自分たちの生活がたくさんの人に支えられていることを知り、もっと真剣に社会のことを考えなければいけないと思った」と言う学生もいて、反応は様々です。

「地域社会論」という授業では、人の移動をテーマにしています。例えば200万人以上の外国人がなぜ日本にいるのか、という問いを通じてグローバルな視点を養うようにしています。日本人には外国人に対して極めて冷たい視線を向けるという閉鎖性がありますので、少しでもそれをなくすように外国人との共生を考えています。ホームレスとの共生も考えます。言葉は乱暴ですが、ホームレスが公園など自分の近くにいられたら不安なのでいなければいい、と思う人が多いですよね。でも、なぜホームレスになったのかなど知らないことが多いから余計に怖がる面があると思います。学生をボランティアの現場に連れて行くと、「ホームレスは普通のおじちゃん、おばちゃんだった」という感想が多く聞かれます。ホームレスはとんでもない人間だとか、だらしのない人間だとか、そういうイメージが先行していますが、そういった偏見を無くして様々な人との共生を考えて行こうという趣旨の授業です。

現場に触れる

私のゼミには基本的に授業に関心を持ってくれた学生が集まりますが、明確な研究テーマが見つからず、いわば「迷子」になって、HELPを求めてくるような学生もいます。私は「来る者は拒まず」の精神で、どんな学生でも大切にしたいと考えています。ちょっとかっこよすぎるでしょうか(笑)? 国際学部には実に個性的でアクティブな学生がたくさんいます。

ゼミでは、私が行っている調査研究やプロジェクトになるべく学生を関わらせて、机上の学問から離れ一緒にフィールドワークをすることを重視しています。先日は浜松にある南米系の外国人学校へ学生と行き、学校見学と校長先生への聞き取りを行いました。学生は外国人の子どもたちが日本の社会で学び、生きて行くことの難しさを直接先生から聞き、また日本国内にこのような異文化の世界があることを知り、勉強へのモチベーションがすごく上がっていたようです。他にも私から学生を誘ったり、または学生から提案を受けたりして、色々な場所へ一緒に行きます。

外国人学校での写真
浜松にある南米系の外国人学校で

宇都宮大学 国際学部の魅力

様々な学問を幅広く学べる「学際性」が魅力の一つです。「学際性」とは、複数の分野にまたがるような研究のあり方です。経済学や政治学、社会学など一つの学問を学ぶことが昔は主流でした。今は社会現象が複雑化、グローバル化しているので、複数の学問を学びながらある研究テーマに向き合うことが非常に有用です。国際学部の教員の専門分野は多様ですから、その都度自分が学びたい授業を受け学問を深めることができます。プラス「国際」。従って、2つの「際」がキーワードと覚えてもらいたいです。また、多言語を学べるのも魅力です。

学生の人数が100名、教員が30名ちょっとという少人数の学部ということにもメリットがあります。学生に対して教員の数が多いので、face to faceの関係ができます。学生同士のまとまりもできます。そして設立して20年近く経ちましたがまだまだ新しい学部ですので、色々な新しいことにチャレンジできる環境が整っています。

国際学部には、日本全国、そして海外からも学生が集まっているので楽しく学べます。国際学部というと英語や外国の社会・文化を学ぶというイメージがあるようですが、それだけではありません。グローバル化する日本社会と世界の多様さを理解しながら、自分の興味のあるテーマを見つけることができます。

受験生へのメッセージ

卒業記念写真
2008年度の卒業記念写真

週に一冊本を読み、週に一本映画を観ましょう。忙しさを言い訳に勉強しなくなっていたことを改めて自覚し、私は今年の6月から実践しています。私の専門領域である社会学は、結局は人間のことを考える学問です。本や映画からは強烈なメッセージを受け取ることができますし、また知らない人間の世界を知ることもできます。社会や人間に関心を持つ時、本や映画はとても大切な情報源です。もしどんな本や映画を観たらいいのか分からない場合は私に連絡をください。良いものをいくつかご紹介しますよ。

それから、自分の個性を大切にして、無理をしないでください。あまり強い人や素晴らしい人を意識すると自信がなくなってしまいます。人間は多様です。自分は自分なりの何かを持っていると信じて、自分を活かしてください。

最後に、勉強はとても楽しいものです。その場その場で厳しい現実と向き合わなければいけませんから苦しい時もあります。でも、人がよりよく生きていくためにはがんばらなければいけないこともあります。勉強することの楽しさと大切さを意識して学生生活を送って下さい。

よく学生から、「最初に会った時の先生の印象はとても怖い人だった」と言われます。特に推薦入試の面接などでは怖い顔をしているみたいですね。歩いているときも笑顔などなく、なんとなく怖い顔をしているのでしょう。理由ですか?よくわかりませんけど、こういう風に言われるのは結構好きなんです。実際に話したりすると、随分とイメージが変わるみたいです。特技ですか?真面目な顔して冗談を言うことかな。だから誰も笑ってくれないんです・・・現在(もう長いですけど)、犬とバスケとの共生に並々ならぬ関心を持っています。では、ありがとうございました。あっ!男女バスケの顧問してますので、入部大歓迎です!!!

取材協力

  • 田巻 松雄 教授