お問い合せ

宇都宮大学国際学部
〒321-8505宇都宮市峰町350
TEL 028(649)5164
FAX 028(649)5171
Mail

ホーム学科紹介 > 教員インタビュー

教員インタビュー

寄り道を恐れない

 今日、私がお話したいのは、「プロセス」の大切さです。国際学部を目指すみなさんには、あらゆる意味で、物事のプロセスを大事にしてほしいと思うのです。

 身近なところから話をしてみましょう。たとえば、学生生活をどうエンジョイするかについて。

 大学生のなかには、授業に出て、バイトをする、というだけの生活をくりかえしている人をしばしば見かけます。ひとそれぞれに事情はあるでしょうが、もしそれなりの経済的余裕があるのなら、せっかくの大学時代をこんな過ごし方で終えてしまうのはもったいない、と思います。

 人生のなかで、大学時代ほど自由な時期はありません。一定の条件を満たしていれば、多少の無理がききます。また、やる気のあるひとは、好きなことに好きなだけ時間を費やすこともできます。私自身のことを振り返ってみても、演劇、8ミリ映画、学者を招いた読書会、芸術家のインタビューをのせた雑誌づくりなど、興味のあることに思うぞんぶん熱中したものでした。

 演劇や映画をやったからといって、将来の仕事には何のプラスにもならないではないか、と思うひともいるかもしれません。たしかに、私が当時夢中になっていたことのなかで、すぐに役に立ったと言えるものはひとつもありません。けれども、その時に知らず知らず身につけたことは、今のようにひとに教える立場になってから、あらゆる場面で生きていると感じるようになりました。十五年以上も経って、はじめてそう実感するようになったのです。

 ここ十年ほどの日本では、「マニュアル」思考が当たり前のようになりました。「この仕事には、こんな資格が必要だ」「この資格をとるには、こんなノウハウが必要だ」などなど。何かと言えば、「結果」にたどり着くための「近道」ばかりが求められるようになったわけです。私もマニュアルのすべてに意味がないなどと言うつもりはありません。しかし、少なくともこれだけは、はっきり言っておきたいのです。安易にひとが用意してくれた「近道」に乗っかっていると、ろくなことにはならないだろう、と。

 マニュアルというものは、時と場所が変われば、まったく意味を失ってしまうものです。私の学生時代にも色んなマニュアル本、ハウ・ツー本がはやりました。しかし、当時もてはやされたもので、今でも残っているものはひとつもありません。だからこそ私は言いたいのです。たとえ「寄り道」に見えることでも、自分が全身全霊をこめて没頭できると考えたなら、恐れずに挑戦してほしい、と。大して自分のなかにモチベーションもないのに、みんなが大事だと言っているから、自分もこの「近道」を進もう、などといった自主性のない姿勢を続けていくと、ひとは何か根本的なものを失ってしまうように思えてならないのです。

与えられた知識をうのみにしないために

 「プロセス」の大切さについて、もう少し学問的な観点からとらえなおしてみましょう。

 たとえば、高校の『世界史』の教科書を手に取ってみてください。18世紀フランスの文化に関するページを開くと、モンテスキューや、ルソーや、ディドロなどの大思想家たちの名前が登場するはずです。そのページの文章を拾っていくと、「モンテスキューは『法の精神』(1748年)のなかで、三権分立の考え方を提示した」などといった記述にぶつかることでしょう。

 国際学部を目指すにあたって、こうした文化的な知識を身につけておくことは、決して無駄ではありません。しかし同時に私が訴えたいのは、なんでもかんでも教科書の内容を信じこまないようにしてほしい、ということです。大学における「教育」とは、みなさんひとりひとりが、教科書(マニュアル!)を読みながら、「ここに書かれていることは、本当に正しいことなのだろうか?」と自分に問いかけるところからスタートするのです。

 教科書から与えられた知識を、うのみにしないこと――これは、口で言うほど簡単なことではありません。本当にこの姿勢をつらぬくには、それなりの覚悟と忍耐力がいります。「この知識は本当に正しいのだろうか?」と問うだけではなく、それを自分の力で調べ、自分の頭で考えなおしてみる必要があるからです。

 たとえばモンテスキューの例で言えば、ネットや図書館などで調べ、『法の精神』という書物を直接、手に取って読んでみましょう。この作業をやってみると、ただちに理解できることがあります。まず、『法の精神』という書物は、文庫本3冊分にもおよぶ巨大な作品だということです。当然、そのなかに書かれているテーマは、実にさまざまな分野におよんでいます。

 何しろ、この書物が最初に公表されてから260年以上たっても、いまだにその研究がつづけられているほどです。この本の世界のなかに入りこんでいけばいくほど、「三権分立の考え方を提示した」などという教科書の解説が、どれほどいい加減なものかということが、おのずと理解できることでしょう。もっともらしい解説というのは、たいていの場合、疑ってかかったほうがいいのです。

 さて、私は、与えられた知識をうのみにしないためには、「自分の力で調べ、自分の頭で考えなおしてみる必要がある」と言いました。この方法をつきつめていくと、単に日本語の翻訳を読むだけではなく、「フランス語の原文 “Esprit des Lois” を読んでみよう」という発想が出てきます。さらに専門的な研究になると、モンテスキューの手書き原稿をチェックしてみよう、という考え方も出てくるのです。

 画像に注目してください。これは、ある研究書におさめられたモンテスキューの手書き原稿の写真です。この原稿をじっくりチェックしていくと、モンテスキューが、一度書いたことを消したり、書きなおしたり、もう一度消したりしている「プロセス」が、手に取るように見えてきます。

 ここにあるのは、いわば『法の精神』という本の、なまなましい舞台裏です。最終的にできあがった「結果」としての『法の精神』ではなく、その「結果」にたどり着くまでのモンテスキューの試行錯誤する姿が、はっきりと残されているのです。ああでもない、こうでもない、と何度も悩み、あちこちに「寄り道」しながら、少しずつ自分独自の考えを練りあげていく大思想家の努力と苦心。一度こうした「プロセス」の面白さを知ってしまうと、研究というものをやめられなくなってしまいます。

目の前にあるすべてのものに「プロセス」がある

 こういう疑問を持つひとがいるかもしれませんね。「そんな研究の何が役にたつのだろうか?」もっともな質問です。世間的な尺度からすれば、そんなことをしていても、とうてい「実利」を得られるようには見えないことでしょう。

 この点に関しても、私が「自分に役に立っている」と実感するようになったのは、ごく最近のことです。この意味で、私の研究生活そのものも、まさに「寄り道」だらけだったと言えるかもしれません。

 ここでは、先に述べたような研究の方法やその訓練が、具体的にどう役に立っているかについて、身近な例を取りあげてみましょう。

何よりも大きいのは、私たちの目の前にあるすべてのものに、それが生まれた背景があり、ひとの手の加えられたいきさつがあるということを、理解できるようになったことです。

 たとえば、ニュースについて考えてみましょう。新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどには、ありとあらゆるニュースがあふれかえっています。このようにすさまじい速度で、入れかわり立ちかわり届けられる大量の情報を前にすると、ひとは、えてして、そのまま受け流したり、何の疑問もなく信じこんだりするようです。

 けれども注意すべきは、あたかも「客観的な事実」のように見えるニュースであっても、実際には、それらを文章として書き、それらに写真や映像を添えている生身の人間がいるということです。私たちと同じ人間が手がけている以上、まちがいは付き物です。また、さまざまな事情や経緯があって、ひとつのニュースが事前に配信されないことになったり、その一部が削除されたりするということも、しばしば起こります。

 私は、思想家たち自身の原稿の書き込みに関する研究の訓練を積むようになってから、「結果」としてできあがったニュースの「舞台裏」にこそ、大きな問題が控えていることに気づくようになりました。ひとつひとつのニュースが<触れている>事柄だけではなく、そこで<触れられていない>事柄にこそ、大きな意味があることに気づいたわけです。当然、ニュースの報道をうのみにすることが、いかに危険であるかということも、痛いほど自覚するようになりました。

 ニュースだけではありません。食べ物、飲み物、日常生活に使うさまざまな道具など、すべてのものに、こうした発想を応用できるはずです。私たちが当たり前のように飲み食いしている弁当やジュース、何気なく使っているハサミや机は、いつ、どこで、どんなひとの手を、どのくらい経ることによって、私たちの手に届けられるのか。このような疑問を持ち始めることで、世の中に存在するありとあらゆるものの「舞台裏」への関心が、私のなかで深まるようになりました。

 物事の表面をなでるだけの「近道」志向では、決してこのような「舞台裏」に目を向けることができません。本当に信頼に足る知識を得るためには、どんなに「寄り道」に見えたとしても、自分の体を使って調べ、自分の頭で検討してみなければならないし、どんなに面倒くさくても、物事が成立する「プロセス」に目を向ける必要がある、と私は思うのです。

 残念ながら、世の中では、こうした粘り強い思考を鍛えようとする発想が、どんどん薄れていっているように見えます。この傾向は、私たち自身にとって、決してプラスにはならないでしょう。

後編へつづく...

取材協力:田口卓臣准教授プロフィール

このサイトについて個人情報の取扱い等に関する基本理念