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2010年4月21日(水) 講演「挑む アフリカで47年」(宇都宮大学)

佐藤芳之氏(ケニア・ナッツ・カンパニー社長)1939年生まれ。東京外語大学卒

1.講演要旨

ケニアではこれまで、エンピツ製造、製材業、農業用シート製造を手がけては、現地の人に次々と売却してきた。

 その後マカダミアナッツ栽培と加工を行った。マカダミアナッツ栽培は、植栽して収穫できるまで7年間かかる。事業の立ち上げに、明治製菓の支援を得た。現在、4100人の従業員を雇用。マカダミアナッツの品種改良はJICA専門家に依頼し、研究はJICAが設立した研究所で行われた。英国航空からマカダミアナッツの品質が認められ、機内食のマカダミアナッツはすべてケニア・ナッツ・カンパニー製。

これまで会社のサバイバルを至上命題としてやってきた。自然保護区の隣接地に農園を造成したが、ナッツをゾウに襲撃されて放棄したり、工場と農場をギャング(地元の警察署長)に占拠されて経営を諦めたこともある。  ケニアでは、人を育てるスパンが問題となる。10人必要なら12人育てる。ケニアのエイズ感染者は16人に1人であり、30代後半に死ぬ人が多い。会社を休む人も多い。ケニアでは年金制度は機能しない。60才から年金が支給されるが、その前に死ぬ(年金生活者は人口の数%)。

ケニアでは、報告書に書いてある8割はウソである。ケニア人の言うことの2割は本音で、8割はウソ。前回言ったことと、今回言うことが違う。現地の人は「言葉は(ケニア山に吹く)風」と言う。その時の状況や気分で言うことが変わる。ウソを見抜く目が必要。重要なのは、理解ではなく、「風を感じること」(共感すること)。日本人の真面目さは世界では例外的であり、その意味で日本人はマイノリティである。

ウソ、文化の違い、言語の違いとの戦いの連続が、いわゆる国際的な仕事の実態である。国際的な仕事は、日本で想像するものではない。現実はイメージと異なる。

経済活動としての援助を行っている。もうけ続けることが、会社のサステナビリティであり、存在することが目的である。

普通のビジネスにあきたらず、BOP (Bottom of Pyramid)ビジネスをしたいと思うようになった。ケニアナッツの経営から身を引き、微生物を利用してスラムのトイレを浄化するビジネスを2008年にルワンダで始めた。日本人職員を3人採用、3名の日本人インターンを受け入れている。資本金は1000万円で、ケニアでの利益をすべて投入した。会社経営はまだ赤字である。住民は10人1組で1つのトイレを使用し管理する。職員は、背中にタンクを背負い、トイレを1つずつ廻り、微生物液を流す。顧客の95%が、まったく臭くない、ハエがいなくなったと言っている。微生物液は臭い成分の分解だけでなく、便も分解する。アメリカのルワンダ援助では、Flying toilet(ビニール袋に入れて野外に投棄)を指導している。

学生時代にレイチェル・カールソン『沈黙の春』を読み、利益の極大化を追求することは良くないことと気づいた。チョムスキーの著作も読む。

学生時代は「青年は荒野をめざす」という言葉に引かれた。人は、ハラハラドキドキの冒険をなぜやるのか。

新しいビジネスは3年で事業化する。5年は長い。起業して、一流の技術者を雇い、仕事をまかせる。作業をマニュアル化し、現地人に渡す。それで役割が終わり、つぎの仕事を考える。パッと現れ、サッといなくなる。黒澤明監督『7人の侍』の最後の場面が印象に残る。

ケニアの警官や裁判官の給与は外国からの援助である。

事業が計画通りにいくことは少なく、ほとんどは思いがけない展開をする。

小さな資金(100万円)でも出来ることはいっぱいある。始めたら、必ずやる手だてはある。とにかくやってみること。キャリアとは、「就職」のことと思っている学生が多いが、「創職」である。

安い労働力は決して安くない。

2.懇談会での発言要旨

ケニアのギベラ(スラム地域)で石を投げれば、NGO(職員)に当たる。ギベラは援助のショーケース。貧困やスラムを必要とする人がいる。援助の現場には、外国人がぐっとくるようなルートが用意されている。現地の人はしたたかである。スラムに日本人が視察に行くと、子どもは一番ボロボロよれよれの服を着て現れる。日本のおばさんたちは感激して、万札を出す。自立心を奪うが、金を出す行為は必ずしも悪いものではない。乞食は一番汚い服に着替えて出かけ、金をかせぐ。夜はこざっぱりとした服装に着替え、町のバーで酒を飲んでいる。本人に聞くと、堂々と「これが私のビジネスだ」という。

(文責:友松篤信)



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